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日々の気づきを淡々と

仕事(企画・広報)で学んだことを中心に書きます。たまにそうでもないことを書きます。つまりなんでも書くつもり。

キュレーションメディアはこれからも必要だし伸びていくと思った話。

ちょっと前にWebで「キュレーションメディア」(キュレーションとは、ネット上のさまざまな情報を集めて整理すること。)の問題がありましたが、キュレーションメディアそのものが悪いのではない。きちんとしたキュレーションメディアは今後も発展していくと感じた話。(勉強メモみたいなものです。)

 

キュレーション行為自体が悪いのではなくて、問題は著作権無視や不正確さ

先日BuzzFeeDで掲載された記事

DeNA問題で問うべきは「ネットの信頼性」じゃない 現代のメディアのあり方だ

1万文字くらいありますけど、全部読みました。すごい。Webで発信する機会がある方は目を通しておくことをオススメ。

「Webのキュレーションメディアが悪い」と新聞から攻撃されていたけど、何が悪いかというと運営側の「プラットフォームを運営しているだけなので、そこに書かれていることはウチは悪くありません」というスタンス。そして書いている人たちに明確に盗用を指示していたという。意図的に著作権を無視した盗用を行い、人の興味を惹く真偽不明なネタを乱発していた。

 

そういうスタンスが問題なのであって、しっかりとした事実を、著作権問題を解決しながらキュレーションしていれば、価値のあるものだったと。

 

ソーシャルネットワークとスマートフォンの普及により、「誰でも・いつでも・どこでも」情報がネットにアップされ、拡散されるようになった。事件や事故、災害が起これば、現場にいる人がリアルタイムで写真や動画を公開する。中高生の間で本当に流行っているものは、大人が取材するメディアを通じてではなく、ソーシャルネットワークを通じて共有されるようになった。

とすれば、これらの無数の情報をまとめる「キュレーションメディア」が生まれるのは、時代の必然と言える。事件や事故があっても、警察からの情報提供がなければ、発生場所もわからなかった時代とは違う。

 

ネット上を探せば大量の情報が溢れている。それをしっかりと一つの観点やカテゴリーでまとめるだけでも非常に有用で、意味があること。なるほどー

 

「エディターシップ」という言葉もあるらしい

ここで昔読んだ本を思い出す。

 

本書に「エディターシップ」という章がある。

作品とは、うまく組み合わせてみると、単体では出てこなかったような価値を出す場合がある。そういう仕事には価値があるし、そういうことができる人にはエディターシップがあるという。

 

ひとつひとつの文章や作品は、それほどとくに秀れているわけではないのに、まとめられると、見違えるようにりっぱになる場合である。

 

第一次的創造はクリエイションである。これを加工して新しい価値に昇華させるのは、メタ・クリエイションである。思考についても、この想像とメタ・創造の次元が存在する。カクテル式の論文は、メタ・創造によるもので、物語で言えば、「デカメロン」「源氏物語」式ということになる。

 

ライターにどんな記事を書かせて、全体としてどういう構成にするかは大事ですよね。まさに編集者の仕事。キュレーションっていうのは、ネット上にある情報をしっかり編集することであって、(著作権を守り、デマを流布しないで)正しく行えば価値のある行為。

 

ルールが変わりながらキュレーションメディアは今後も栄えるのでは

ネット上に散乱した情報を一つのカテゴリや観点に沿って綺麗に整理するというのは、今後も必要になってくると思います。ただ、今はまだ著作権上の問題とか理解できていない人も多いし(自分も含め)、引用の作法も曖昧。

本気でキュレーションしようとしたら、ネタを発信した人すべてに直接連絡をとって許諾を取る。そうなると労力もかかる。Twitterとかで投稿された内容はTwitterの規約によると、誰でも引用可能みたいなのですが、今はマナーとして事前に利用可否を聞くべきな雰囲気。昔だったら外部リンク貼るのに「リンクフリー」ってわざわざ言っていたようなものでしょうかね。

そういうところでもっと引用しやすくなるようにルールや作法が変わっていくと、今後もキュレーションも発展していくかもしれない、なんて思いました。

 

おわり