mixiが面白い(恐ろしい)ことやってますよね。
一言で言うと「日記を公開し合うタイプのSNS」です。(知らない20代も多いんだろうなぁ。)
もうみなさん、ログインさえできないのでは?
自分はTwitterと連携していて、Twitterでつぶやいた内容がそのまま表示されるようになっていますが、mixi自体は放置です。基本的にはそれだけ。ログインは普段しません。
しかし、今回は興味半分と、怖いもの見たさ半分で自分のmixiを開いてみました。
PC画面の場合はトップページの画面右上に「昔の日記を読んでみよう」というリンクがあります。恐る恐るクリックしてみると…
うわっ、なんだこの日記タイトル。短いっ。(ていうか11年前!)
右下の更新ボタンを押すと自分の他の記事が表示されますが2005年の記事しか出てきません。大学4年、mixi登録初期の低レベルな記事しか表示されず。。。やめれくれー
試しに「平凡な日常とは」という記事をクリックしてみました。何をそんな一般論を語っているんだろう。恐る恐る見てみると。
今日は昼から研究室へ行きプログラミングの勉強、夕方に部活、夜は家でmixiやったり新聞読んだりしてくつろぐ。
自分にとって一番いい平日の過ごし方だ。
毎日が同じことの繰り返しなんて嫌だと若いころは思っていたが、最近はそんなことない、毎日同じ時間に同じことをするのって大切なことだと思う。
同じ毎日だからこそ自分の中での微妙な成長や変化を感じ取ることができる。
だからこそ、
生活のリズムを乱す居酒屋バイトを早くやめなければ・・。
それに対する友人のコメント
えー居酒屋やめちゃうの?
いさおくん…。すごい年寄りみたいな日記だよ…
顔から火が出るわ!なんだこれ!恥ずかし!恐ろし!(でも意外と、最近Facebookに投稿した内容と変わらないこと書いてる。。。海外放浪後も同じような毎日が楽しいって言っていたような。笑)
ちなみに他の人(マイミク)の日記も。。。
おー、これはこれは…目も当てられない。
そしてmixiさんドSですな。「通報する」ってなんですか。笑
友人の過去の日記をFacebookでシェアなんてしたら炎上して絶交ものでしょうね。
ネットは徐々に開かれた場になってきている。
これほどまでに過去の日記に恥ずかしさを感じるのか。一つは過去のネットというのは閉じられた関係性の中でやるものだったからだと思うんですよ。世の中に公開するという考えがなかった。シェアとかリツイートのような機能もありませんでしたしね。何を書いても、繋がっている友人にしか見られなかった。
でも、今のネットって変わってきているんですよ。匿名で閉じられた世界でやるのではなくて、実名で開かれた環境でやるようになってきているんです。
だから、あのころの、閉じられた空間向けに書かれた文章が恥ずかしく感じるんだろうなと思うわけです。一つの理由としてはね。
今はその過渡期なのかも
先日、こんな記事を見かけました。
イマドキの「就活勝者」は空気を読まない? 大企業はオワハラしないの指摘に「大小は関係ない」とツッコミ入れる | キャリコネニュース
就活中の学生の対話。その中で、企業の採用担当者にSNSを見られていることに「自由に発言する場なのに、見られたら楽しめなくなる」というBくんに対してCくんは「むしろSNSをチェックされていることを有効活用するべきだ」と語っている。
ネットが閉じられた(つながりにくい)空間から開かれた(つながりやすい)空間に変わっていく中で、その両方の立場の人間がいることを示す例なのでは、と思いました。
恥ずかしいと思う一つの理由
過去の文章が恥ずかしいものだというのは、別の意味ではいいことだと思っています。自分が成長、変化しているということなのでは。なのでmixiの日記を見ながら「自分は一応成長しているんだな」というのを感じることにします。そうやって前向きに捉えつつ、mixiはそっと閉じることにします。。。
今こうしてブログに書いている文章が来年になって読み返したら「恥ずかしいっ!」と、思えることがいいのかもしれません。そうなるようにがんばろう。がんばろう。(明日読んで「恥ずかしい」と思ったら、それはただの酔っ払いだったのかもしれない。)