2つの記事と、自身の体験をもとに「頑張りすぎるのはよくないこと。」ということを、長々と思いつくままに書きました。
「頑張るのが辛い」 のは危険な状態
こんな記事を読みました。
仕事絡みの記事を量産するメディア「Books&Apps」の記事
「頑張るのがつらい」と感じたら、何かが間違っている。 | Books&Apps
「頑張るのが辛い」という相談をしてくる若手社員に、先輩社員が助言をする内容。これは先輩の助言に同意。もうこれ以上頑張れないと感じているようなら、その頑張り方は間違っている。
自分に置き換えて思い出してみる。
元々、ペースは遅いかもしれないけどコツコツ頑張るのは得意だと思っていて、高校の時は3年間で英単語を毎日愚直に10個暗記したり、サッカーのためには筋トレや走り込みも我慢して取り組める性格だった。振り返ってみても、よくがんばったなー、と思う。(もうちょっと効率的なやり方はあったかもしれないけど。)
しかし過去の仕事で嫌な業務に一日中埋め尽くされて、どれだけ頑張ればいいのか見えなくなったときに「あ、もう俺がんばれなくなる。やばい」ということを感じました。嫌な我慢を続けると、人間はおかしくなるということを体感。「頑張る」って当たり前だと思っていたのに。
上記記事に書いてある
「つらいことを続けるのが、頑張る、ではないのでしょうか?」
「その通り。」
というやり取りに激しく同意。辛いことを続けるのは「頑張る」ではない。「悪い我慢」と言い換えたほうがいいかもしれない。
そうだ、自分は「悪い我慢」を何年もしてきたわけだ。。。よくやってきたな。そりゃおかしくなるわ。
いい我慢とはなんだろう。
今度はこんな記事を目にする。
マシュマロが得られる我慢をする
Facebookで流れてきた、とある長文記事。
( 本文の本筋についてはここではあまり触れません。読んでみてください。)
この中で「マシュマロ実験」という有名な実験が紹介されている。何かで読んだことあるな。4歳児にマシュマロを見せて「15分我慢したらもう一つあげよう」と言う。そして我慢できた子とできなかった子を追跡調査すると、我慢できた子のほうが成功者になりやすい、というもの。
何かを成し遂げるためには、目の前の何かを我慢する。 確かにそうだと思う。
しつこいようですが、ここでも過去の仕事を思い出す。
目の前の仕事を耐えに耐えてやっとのことでやり遂げる。しかしマシュマロは得られない。がんばる。何も得られない。そうなると我慢、努力ができなくなる人間が出来上がる。恐ろしい。
適度な我慢は必要なことは分かっている。しかし過度な我慢、間違った我慢は体に毒。何かが得られている実感を持てない我慢なんてやめた方がいい。
ほどほどの我慢でマシュマロを得ることが大事
過去の仕事で我慢の限界を迎えたあとは、退職して半年休暇で我慢を一切しない国内外自由旅をしました。しかし、我慢も成果も無い生活というのは、しばらくはよかったのですが、一方で退屈だったかも。試行錯誤もPDCAも達成も無い生活だった。
最近はサッカーや仕事で適度な努力・我慢をすることを思い出してきている。 ほどほどの我慢と忍耐で、よい努力を積み重ねて、ちょっとずつマシュマロを食べている感覚になってきています。効率的かどうかというと疑問に思うこともあるけど、まあ前には進んでいるはず。
頑張るのが辛いと思っている仕事はやめた方がいい。心身を消費します。
一方で、我慢は大事。でも、我慢しても自分にとってのマシュマロが得られていないなら、その状況もおかしい。
要するに我慢しすぎない方がいいです、というありきたりな結論に落ち着いてしまうという。なんともこれいかに。